浮月堂黄昏抄

風流候・原田浮月堂の花鳥風月な日々

「ひとひらの雪」

No.3949(再)
【今日の1冊】
ひとひらの雪」

いかんなあ。なんか最近は渡辺淳一の不倫小説ばかり読んでいる。読みやすいこともあるのだが、刊行当時、20代で読んだ不倫小説が還暦の今、再読しての自分の考えが知りたい、とも思うのだ。恋愛小説も不倫小説も、一般的な恋愛も不倫も、昔と現在の一番大きな差はやはり携帯電話の有無ではないか、と思う。1980~1990年代前半にスマホがあれば、かなり<愛>の形も、恋愛と不倫の成功率も違っただろうし。今日の1冊は渡辺淳一ひとひらの雪」(1983)だ。

妻子ある建築家・伊織祥一郎は、部下である笙子と4年に及ぶ愛人関係にある。妻子とは別居状態だが、仕事は順調で業界での名声も得て、それなりに満足のいく生活を過ごしていた。そんなある日、亡き友人の妹で美貌の人妻・霞と15年ぶりに再会する。2人は惹かれあい、人目を避けて情事を重ねる。現代的な魅力をもつ笙子と清々しい美人の霞、2人の間で揺れる伊織。和服を好み、睡蓮のような楚々とした魅力をもつ霞は伊織から愛されて艶やかに変わってゆく。伊織はそんな霞を好ましく思いながも現代的な美しさと若さをもつ笙子も捨てがたかった。妻との離婚が成立しそうな矢先に笙子が伊織から去り、やがて霞もまた

ひとひらの雪」刊行当時のおれは19歳だった。満ち足りた中年世代の恋愛とはこういうものか、と少し感心した。伊織が45歳、霞が30代、笙子が28歳と、伊織さえも今のおれより15歳も若い。60歳になったおれが「ひとひらの雪」に感じるのは、逢瀬=セックスだけかい、だった。自身の不倫経験から考えても、既婚女性との逢瀬はセックスだけではないし、=セックスではたぶんいつまでもは続かない。全ての女性が、とは言わないが、多くの女性は不倫にセックスだけを求めてはいないような気がする。お互いの性欲捌け口だけではなく、彼氏・夫、彼女・妻には求められなくなった<恋愛>を求めているんじゃないか。そうでないとやりきれん。