浮月堂黄昏抄

風流なライフスタイルのために

三菱鉛筆ユニのおまけ

No.2853
【レトロスペクティブ】
なかなか楽しい
三菱鉛筆ユニのおまけ」

昔はナショナルの乾電池やケロッグのコーンフレーク類や鉛筆1ダースにも楽しいおまけが付いていた。

印象深いのはやはり三菱鉛筆ユニだろう。高級鉛筆だけにトンボ鉛筆コーリン鉛筆よりも1ダースの価格は高かった。それだけになぜか変わったおまけが付いていた。ユニ坊主という丸い消しゴムや、野菜の形の鉛筆、ジャンボユニという巨大鉛筆など実用的ではないがなかなか楽しいものだった。このおまけは昔だけだと思ったのだが、2000年以降も続いていた。知らなかったな。

なかなか面白いおまけなのだが、おれは小学生時代からトンボ鉛筆8900一筋なので縁はありませんでした。

https://www.mpuni.co.jp/special/gallery/index.html

明治アポロチョコレート

No.2852
【今日の菓子】
苺とチョコの黄金律
「明治アポロチョコレート」

苺とチョコレートの組み合わせはお菓子やスイーツの絶対的な黄金律だと何度か言っているが、明治アポロチョコレートはそれを代表するものだろう。

アポロチョコレートは1969年に人類初の月面着陸を成功させたアメリカの宇宙船アポロ11号をイメージして同年に発売されている。正確にはアポロ宇宙船全体ではなく、地球に帰還する部分だ。あまり知られていない話だがアポロチョコはアポロ宇宙船をイメージはしているものの、名前はギリシャ神話の太陽神アポロンから名付けられている。

苺とチョコだけに味もたまらなく美味しいから、アポロチョコレートはいつまでも販売してほしい逸品だ。

グレゴリー シエラカップ

No.2851
【おれの愛用品】
出張の必携アイテム
「グレゴリー シエラカップ

30~40代のサラリーマン時代はとにかく出張が多かった。日本全国から韓国まで飛び回っていた。その時に一番役に立ったのはビクトリノックスのマルチナイフとグレゴリーのシエラカップだった。

シエラカップは本来は登山などのアウトドアアイテムなのだが、出張にも色々役に立った。大都会だけではなく、電車が2時間に1本で駅前には見渡すかぎり田畑しかない田舎への出張も多かった。シエラカップは湧き水を飲んだり、ビジネスホテルの部屋で食事する時の食器代わりにもなった。希に田舎のビジネスホテルではコンロがあって小鍋としてラーメンの調理にも使えた。とにかく万能アイテムだったのだ。

20代以降キャンプすることはなくなったが、シエラカップはアーバンアウトドアや出張には欠かせなかった。おれはグレゴリーとスノーピークのシエラカップを持っているが、どちらもすごく頑丈だ。

 

明治チェルシー

No.2850
【今日の菓子】
貴方にもチェルシーあげたい
「明治チェルシー

大好物ではないけれど、飴やキャラメル、キャンディにドロップ類はたまに口にする。

明治チェルシーが昭和46年に発売された時は従来のキャンディとは違う感じがした。おれはバタースカッチよりもヨーグルトスカッチの方が好きで、飴やキャンディは途中に噛み砕く癖があるんだが、チェルシーは最後まで舐め続けていた。チェルシーは明治が今までにないキャンディとして開発したらしく、誕生までに色々と試行錯誤があったらしい。スカッチとはスコーチング(高温で煮詰める)から由来する。

チェルシーはデザインも誕生した頃のものとあまり変化はない。完成度の高いキャンディだ。ちなみにチェルシーの有名なCM曲は天才安井かずみの作詞による。

懐かしい人に
出逢ったような
優しい便りが今届いた
忘れかけた幸せ
あなたにも わけてあげたい
ほら、チェルシー
もひとつチェルシー

しまざき由理 面影

No.2849
【今日の1曲】
刑事ドラマ屈指の名曲
しまざき由理  面影 」

地上デジタル放送を観なくなったのはお笑い番組が増えたことと、ドラマがつまらなくなったためだ。恋愛ドラマもつまらないし、刑事ドラマも面白くない。特殊能力を持った捜査官なんているわけないんだし。昔の刑事ドラマは良かった。ザ・ガードマン(刑事ドラマではないが)やキイハンター、七人の刑事、Gメン75は秀逸だった。

Gメン75は土曜日9時の刑事ドラマだ。なぜかこの時間帯はキイハンターアイフル大作戦、バーディ大作戦と続く丹波哲郎主演なのである。Gメン75はドラマもエンディングのは歌も素晴らしかった。特にしまざき由理「面影」は名曲だった。歌詞の中の「ああ、一度だけ恋して燃えた  ああ、あの時は二度と帰らない」という部分が切なかった。

しまざき由理の「面影」もポプラの「遥かなる旅路」も、Gメン75のエンディング曲は名曲揃いだったな。

【歌詞】
https://www.uta-net.com/song/1107/

【面影】
https://youtu.be/4Jxke4DtTbQ

【Gメン75~面影】
https://youtu.be/d_V6ye5qwxo

遥かなる旅路
https://youtu.be/Xij-FWupnEs

 

ベビースターラーメン

No.2848
【今日の菓子】
匂いが最高だった
ベビースターラーメン

小学生の頃は駄菓子屋でベビースターラーメンを買うことが多かった。当時は確か20円だったと思う。

食べるラーメンと呼ばれたベビースターラーメンおやつカンパニーが1959年に発売し、価格は10円だったらしい。発売当時の名前はベビーラーメンだった。写真はおれが買っていた頃のデザインで、1988年に一新されたのだ。ベビースターラーメンは味も良かったが、何より匂いが素晴らしかった。

日清食品チキンラーメンは好きではなかったのに、ベビースターラーメンはかなり永い間買っていたような気がする。

梅田バッティングドーム

No.2847
【今日のレトロ店】
全天候型のバッティングセンター
「梅田バッティングドーム」

30~40代のサラリーマン時代、よくバッティングセンターに通った。中でも大阪市北区中崎町にある梅田バッティングドームには週に3回は通っていた。

週に3回のほぼ全てが退勤後であり、北浜勤務の頃はタクシーで会社からバッティングドームまで乗り付けた。梅田バッティングドームは23時まで営業している全天候型だったからスーツ姿のまま毎回120球の打撃に挑んでいた。ここまでバッティングに熱中していたのは単に運動不足解消のためではなく、仕事へのやりきれなさ、怒り、ジレンマなどの憂さ晴らしだったのだろう。

バッティングの結果は安打も多かったが、たまにホームランもあった。その時は太融寺の居酒屋でひとり祝杯をあげたものだ。梅田バッティングドームは土曜日は朝5時まで営業していたので、深夜に死ぬほど打撃練習した後、近くのサウナ大東洋で朝まで過ごした。懐かしい思い出だ。